菅平高原観光協会

勝ちたいなら、菅平。

INTERVIEW

私の菅平 vol. 1
アテネ五輪女子マラソン金メダリスト
野口みずき(後編)

December.11.2019

写真・文/中島良平
取材協力/リゾートロッジすずもと 岩谷産業陸上競技部

2004年アテネ五輪女子マラソンの金メダリストで、2020年東京五輪では、ギリシャのオリンピアで採火した後に日本人一人目の聖火ランナーを務める野口みずきさん。全3回のインタビュー最終回では、岩谷産業陸上競技部のアドバイザーとして後進の指導に携わる現在について話を聞いた。

勝つために近道はない

「きっかけは廣瀬永和監督ですね」と、岩谷産業陸上競技部で務めるアドバイザーという役割について話す。

「私が社会人になってからいくつか会社は変わりましたが、廣瀬監督には20年近くずっと見ていただきました。引退まで面倒を見ていただいたので、その監督が率いるチームにはやっぱり強くなってもらいたいと思っています。家庭を第一に優先したいという思いも岩谷産業さんには理解していただいているので、週に2回ぐらい練習に行ってアドバイスをさせてもらっています」

取材を行ったのは、菅平で行われた岩谷産業陸上競技部の合宿中だ。午前中はリゾートロッジすずもとの畳の大広間で補強トレーニングを行い、腹筋運動などをする選手たちの足元を押さえるなどのサポートしながら、体の動かし方などについてアドバイスをする。そして午後には、「野口みずきクロスカントリーコース」に向かって、走りのトレーニングを行う。

「選手の動きを見た感じたことや自分の経験をうまく選手たちに伝えていけたらいいなと思っています」
クロカンコースで選手たちの準備運動に混じる野口さん。

「長距離走って積み重ねなんですよ。ブレない気持ちを持ってどれだけ続けられるか。本番になるとやっぱりサバイバルレースになりますから、レースのきつさや自分に負けない強さを持って我慢できた人が勝てると思っています。高橋尚子さんにしてもそうですよね。高校時代は無名だったけど、階段を一歩ずつ登っていける芯の強さを持っていた。さらには、どれだけつまずいてもちゃんと立ち上がれる強さを持っている人が伸びていくと思っています。そんなことを岩谷産業の選手たちに伝えていきたいですね」

勝つために近道はない。どんな競技にも共通する話かもしれないが、長距離走のように一定の運動を続けることで競い合う競技において、とくにこの言葉が説得力を持つように思える。

選手時代に走りながら感じた匂いや風

「アテネのときの練習日誌にも書いてあったんですけど、当時の合宿では、血を吐く思いでトレーニングをして、監督やスタッフを信頼して話を聞いて、それを走りにつなげる努力をしていました。もちろん、練習はきついからサボりたくなるときもあるんですけど、サボったら神さまが見ているというか、絶対にレースの結果に跳ね返ってくるという思いがありました。私がレースで一番好きなのは、一番興奮するのは、やっぱり大歓声を独り占めして自分の思うような走りができたときなんです。思い描いた通りの走りです。それはやはり、きついぐらいに練習をして初めてイメージできるものですから、サボれませんよね」

今でも普段から朝に少し走ってみたり、走りたくない時には無理して走らず、楽しみながら走っているという。市民マラソンに出場しないか、などの誘いを受けることもあるようだが、選手のときに十分なだけレースには参加したので、もう競うための走りはしないという。

「私は現役時代に皆さんに応援していただいたので、例えば各地のマラソン大会にゲストで呼ばれた時は、今度は皆さんに私から声援を送る気持ちで大会に伺っています。廣瀬監督のもと岩谷産業でアドバイザーをさせていただいているのも、若い選手たちの力になるように、私なりに応援をしたいという思いからなのかもしれません」

現役時代の野口さんは、遠くの山を見つめながら走っていた。いかにタイムを伸ばし、結果を出すかという思いがそのような視線となっていたのだろう。しかし現在はより近くの、例えば春先には足元にツクシが生えていることに気づいたり、小さな花を綺麗だと思ったり、ゆっくりと自分のペースで走ることで近くの景色を楽しみながらランニングを続けている。そんなときにふと、選手時代に走りながら感じた匂いや風がデジャブのように思い出され、感慨深い気分が込み上げることもたまにあるのだという。その感覚をふと味わいたくて、野口さんは今も走り続けているのかもしれない。

野口さんと岩谷産業陸上競技部の選手たちとを結ぶ信頼感が伝わってくる。

野口みずき
アテネ五輪女子マラソン金メダリスト
三重県出身。1999年、犬山ハーフマラソンで優勝(グローバリーに在籍)。以降、国内外のハーフマラソン大会で活躍し「ハーフの女王」と呼ばれる。2002年3月、初のフルマラソンとなる名古屋国際女子マラソンで優勝。同年8月の世界選手権パリ大会で2位(日本選手としてトップ)となり、アテネ五輪の代表内定。2004年8月22日、アテネ五輪女子マラソンで優勝。翌2005年のベルリンマラソンで2時間19分12秒の大会新記録、アジア新記録、日本新記録を出して優勝(2019年10月現在もアジア記録、日本記録)。2008年の北京五輪でも女子マラソン代表に選ばれるが、ケガで出場を断念。2016年4月に現役を引退。2019年より、選手時代に指導を受けた廣瀬永和氏が監督を務める岩谷産業陸上競技部でアドバイザーを務める。

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