菅平高原観光協会

勝ちたいなら、菅平。

INTERVIEW

勝つためのマネジメント vol. 3
全日本スキー連盟 皆川賢太郎(前編)

February.1.2020

日本のスキー界をボトムアップするために

菅平高原パインビークスキー場が、スキーアルペン種目のナショナルトレーニングセンター競技別強化拠点施設に指定された。つまり、菅平が日本代表のスキー選手を育成する拠点となる。その計画を打ち立てたのが、2006年のトリノオリンピックでは男子回転で4位に輝き、日本人として50年ぶりの入賞を果たした皆川賢太郎さんだ。かつてアルペンスキーヤーとしてオリンピックに4度出場し、現在は全日本スキー連盟の強化部門でトップを務める皆川さんの意図とは? 2回にわたってインタビューをお届けする。

写真・文/中島良平

菅平高原パインビークスキー場 ©︎菅平高原観光協会

選手の将来を「運」任せにはできない。

令和元年7月30日、スポーツ庁によって「ナショナルトレーニングセンター競技別強化拠点施設(冬季系競技)の指定について」発表が行われた。【オリンピック競技】スキー(アルペン)、スキー(スノーボード/パラレル大回転)、【パラリンピック競技】アルペンスキーにおいて、菅平高原パインビークを強化拠点施設に指定。その拠点の重要性を皆川さんは次のように説く。

「国内では長野オリンピックが開催された1998年の時点で1860万人程度いたスキー・スノーボード人口が、今は700万人程度にまで下がっています。なぜそうかというと、環境に理由があります」

全日本スキー連盟の北野貴裕会長から抜擢され、皆川さんは38歳で理事に就任。まずはマーケティングを行った。日本全国の大会を整理し、メディアや観客が集中できる状況を作ったことでスポンサー収入などの増加を実現した。就任当時、9億6000万円ほどだった連盟の収入は現在、14億に到達した。その8割を強化費に用いるのだが、ジャンプやクロスカントリー、モーグルなども含めて種目数が多いため、まだ目標額には達していない。皆川さんがそうした計算を行い、見通しを立てるのは日本スキー界の強化のためだ。

インタビューを行ったのは、東京・霞ヶ丘町のジャパン・スポーツ・オリンピック・スクエア。新国立競技場を背にする皆川さん。

「たとえば、子どもの頃に親御さんがコーチとして指導していたとして、仮にとても優れた指導者だったとしても、新しい指導方法や大会情報などに触れられずにどこかで頭打ちにあってしまうことが多々あります。ある程度の年齢まで育成してきて、どこへ向かうべきなのか道筋が見えないと、競技を続けることは非常に難しくなってしまいます」

長野オリンピックまでは盛り上がり、競技人口も右肩上がりで増えた。しかし、その後に環境を整えなかったことで競技人口の減少を食い止めることができなかった。「小学6年生でたまたま奇跡的な出会いに恵まれたことで、自分は競技人生を37歳まで送れました」と皆川さんは謙遜するが、実際のところ、その奇跡に出会えるかどうかは運にかかっており、その「運」が競技人口減少の理由だとしたら手を打つ必要がある。皆川さんは競技環境を整備するために次のように考えた。

「訪れれば情報を得られ、それまでにやってきたことを試せるような拠点を作る必要があります。現在は、小学生も中学生もシニアも日本全国バラバラなところで大会が行われているので、それを整理して、まずスキー連盟が補助金を出して主幹となって行う大会に関しては、その拠点で開催していきたい。もし小学生の大会がある場所で開催されて、翌日にシニアの日本一を決める大会が同じ場所で行われていたら、小学生は翌日も滞在して見たいと思うでしょうし親御さんも見せたいはずです。そうすれば、練習を続けて年齢が上になったらこういう大会を目指すんだ、という道筋が見えてきます。子どもたちはダイヤの原石なのに、磨かれなくてダイヤになれない子が大勢いるんです。スキーを始めたばかりの子どもが競技を続けるためには、その道筋を見せてあげることが重要なんです」

拠点となるトレセンを山にも設けるべきだ。

スポーツへの理解を示してきた町の姿勢と、気象や標高を含めた環境が評価された。©︎菅平高原観光協会

その拠点として選ばれたのが、菅平だ。自身もジュニア時代から大会などに参加するために足を運び、現役時代にも海外のトレーニングと並行して帰国した時には菅平に通うことが習慣づいていた。

「菅平は夏のラグビー合宿なども盛んで宿舎も多く、スポーツへの関心と理解がとてもある土地だと思っています。そして、晴天率が非常に高く、標高も高いので気温が下がる。アルペンスキーのトレーニングでは硬いコースを作る必要があるので、その雪質を担保できる国内でも数少ない場所です」

拠点を持つべきだという考えを国に伝え、実現しようと皆川さんが動き出したのが2年前のこと。選手やコーチら大勢の人数を海外に移動させ、資金を限られた予算内で無理をして強化を行うのではなく、基礎反復を徹底できる拠点を国内に持つことでレベルを底上げし、必要に応じて選抜したメンバーで海外での強化を行う。そうしたボトムアップがなければ、日本では数10年に一人の逸材しか世界トップに立てないという懸念を出発点として、スキー競技人口の最も多いアルペンスキーの国内拠点の実現につながった。

「拠点となるナショナルトレーニングセンターが山にもあればいいのにねと、以前から関係者たちの多くが話してはいました。願いはあるんです。こうやって実現が決まると、こうしたほうがいいんじゃないか、あれもできるはずだと、みんなが具体的な話を始めます。まだ初年度なので、菅平でどこまでのことができるかは手探りですが、そうやって具体的な意見の交わし合いが生まれたことは大きな進歩だと思っています」

菅平が日本スキー界の強化の舞台となる。その実現への旗手となった皆川賢太郎さんが、現役時代には「勝つために」どのような意識を持って取り組みを行っていたのか。インタビュー後編では、現役時代の話から未来の展望までを紹介する。

皆川賢太郎(みながわけんたろう)
全日本スキー連盟強化部門競技本部長
1977年、新潟県出身。日本体育大学2年在籍時の1998年長野オリンピックに出場後、2002年ソルトレーク、2006年トリノ、2010年バンクーバーまで4大会連続で五輪に出場。トリノでは4位に輝き、日本人選手として50年ぶりとなる入賞を果たす。2014年に現役を引退し、15年より全日本スキー連盟常務理事に、17年より強化部門トップとなる競技本部長に就任した。
https://www.facebook.com/kentaro1up/