菅平高原観光協会

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INTERVIEW

私の菅平 vol. 3
日本ラグビーフットボール協会
副会長 清宮克幸

April.8.2020

日本ラグビー界の発展を推進する

2019年7月1日の発令で、2019、20年度の日本ラグビーフットボール協会副会長の座に就任した清宮克幸さん。早稲田大学ラグビー蹴球部で4年時に主将を務めて全国大学選手権に優勝、社会人選手としてもサントリーラグビー部の中心選手として活躍した清宮さんは、現役引退後には早稲田大学、サントリーサンゴリアス、ヤマハ発動機ジュビロの監督として17シーズン18年間を過ごした。日本ラグビーの強化を推進する清宮さんも、菅平に馴染みの深い人物だ。

写真・文/中島良平
取材協力/日本ラグビーフットボール協会

秩父宮ラグビー場の隣に位置する日本ラグビーフットボール協会の事務所でインタビューを実施。

菅平は何かが起こる場所

「初めて合宿で菅平に行ったのは高校3年生の時ですね」。ラグビー高校日本代表候補選抜の合宿に参加した際のことを最初の菅平の記憶として清宮さんは話す。「高校まで大阪の学校だったので菅平にはあまり縁がなく、高校生で初めて行ったときも、選抜メンバーとして嬉しい代表候補合宿でした。早稲田大学に入ってからは、夏合宿はラグビー漬けになるしんどい場所としてインプットされてしまいましたが」

「言葉を選ばないとな」と笑う清宮さん。大学時代は2週間ほどの合宿で、午前中3時間、午後に4時間などみっちり練習に時間を費やしていた。トレーニングと休息のバランスをとり、しっかり栄養を摂取してリカバーも行うという現代の方針とは少し異なる内容だった。大学2年の夏に菅平でラグビー人生を大きく変えるようなできごとに出会った。

「2年生の春の時点で、私は4軍のプロップというポジションでした。夏の合宿ではずっとスクラムを組みますから、首の皮がベロベロになるほど肉体的にもしんどい。東京から菅平に向かうバスで、テーピングをしてスクラムを組んでトレーニングする自分を思い浮かべていました。重い気持ちで菅平に着いてメンバーボードを確認したら、4軍とか3軍のところに私の名前がなく、よく探したらAチーム(1軍)の8番として名前が書かれていたんです。そんな抜擢をされたら調子も上がりますよね。それをきっかけに8番のポジションでレギュラーになるんですが、夏合宿は監督がチームを作り上げる上での起爆剤を使う場所でもあるし、菅平には何かが起こる場所という認識があります」

例えば日本中のラグビー選手が使う「カンペイ」というサインプレーがある。かつての日本代表が、前の選手をおとりにしてディフェンスを引きつけ、後ろから走り込んだFB(フルバック)にパスをするというこのプレー。「菅平」で考案されたものだから、音読みをして「カンペイ」。清宮さんが現役を引退して早稲田大学ラグビー蹴球部の監督に就任してからも、菅平はさまざまなことを試せる場所として活用していたという。

「最初の3〜4日間は走って怪我をしない体づくりをします、野口みずきさんのクロスカントリーのコースも使っていました。1年目の2001年はゾンタックさんにプールやウェイトトレーニングのジムを借りてもいましたが、途中から早稲田のグラウンド横に自前のトレーニングルームを建てたんですね。100坪のプレハブを2棟。トレーニング機器も全部持ち込みました。

それ以降もゾンタックさんには色々協力していただきましたね。菅平は水が冷たいので、アイシングに氷とか使う必要がないということで、グラウンド脇にアイスバスを作っていただいたこともあります。オーナーの松浦さんが木の枠にブルーシートを敷いて、20人ぐらい入れるプールを作ってくださって、水をそこに流すとものすごく冷たい。水が冷たくておいしい菅平ならではですね」

野口みずきクロカンコース

高地トレーニングによって短時間で体への負荷をかけられる。プールやジムなどの施設が整っていて、「合宿が終わって帰る頃にはひと回り大きくなっている」イメージを持って合宿を送った。トレーニングに終始せず、川で遊んだり、ゴルフをしたり、ラグビー以外の時間も使ってチームの一体感を高める目的にも適っていた。

ラグビー界に携わった使命感から副会長に就任

早稲田大学ラグビー蹴球部の監督を退任し、その後は社会人チームの監督としても結果を残した。サントリーサンゴリアス、ヤマハ発動機ジュビロのそれぞれで成績を残し、「監督としての自分の役割はもう終わった」という区切りを感じ、2019年1月にジュビロ監督を退任した。

「ラグビーに関わってきて、本当にいい思いしかしてきませんでした。あとは、早稲田の復活に向けて少し力を貸せればいいかなと思っていました。しかし今、日本ラグビーの発展に関わらなかったら、将来のラグビーがどうなるかわからないという危機意識もあります。自分に何ができるんだという思いもありましたが、ここで断ったら後悔すると思ってラグビーフットボール協会の打診を受けることにしました。いい思いをさせてもらったラグビー界が、よくない状況になってしまうことを黙って見ていていいのかという使命感ですね」

「ヘッドコーチのジェイミー・ジョセフは、ワールドカップの前に代表選手をスーパーラグビーに派遣しませんでしたが、ギリギリまで試合に出る以上に追い込んだのだと思います。そうすれば選手も自信が付きますよね」

2019年に日本で開催されたワールドカップ。日本代表が決勝リーグに進出して感動を呼んだことはもちろん、各国代表チームは合宿を行った日本各地で地域交流も行い、多くの人々を巻き込んで大会が大成功を収めた。前回のイングランド大会から自国開催される今回に向けて、日本ラグビーフットボール協会は代表強化の1点にフォーカスした。リーグ戦の試合数を減らし、時間と予算を代表強化に集約させる戦略を立て、ラグビー界を巻き込んでそれが見事にハマったのだ。「プロ化」は一つの道ではあるが、まだ具体的に話せないデリケートな話題だと前置きしながら清宮さんは最後にこう語った。

「何かをチャレンジするためには、タイミングってありますよね。ワールドカップが成功して、今何もやらなかったら間違いなく後悔します。最近はアメリカでもラグビー人口が相当増えていますから、世界的にラグビーリーグが再編されていく中で、日本がどの位置に立てるかという岐路に立っていると言えるでしょう。10年後ぐらいに日本のラグビーがトップ4とかに入っているのか。堂々と中心に立つために何かを起こすチャンスはまさに今です。現場の人たちと話し、それを理解してもらって、他競技や外国のリーグなども参考にしながら日本ラグビーの強化を推進したいと思っています」

清宮克幸
日本ラグビーフットボール協会副会長
1967年、大阪府出身。早稲田大学ラグビー部2年時に日本選手権優勝、4年時には主将を務め全国大学選手権で優勝を果たす。卒業後はサントリーに入社し、ラグビー部の中心選手として95年度全国社会人大会優勝、日本選手権優勝に貢献。2001年に現役を引退すると、同年に早稲田大学ラグビー蹴球部の監督に就任。2003年に13年ぶりの全国大学選手権優勝に導くなど、縦に推進するチームへの転換に成功。2005年に監督として2度目の選手権優勝を果たして勇退。サントリーサンゴリアス、ヤマハ発動機ジュビロの監督としても結果を残し、ジュビロでの8シーズンを終えて2019年1月に監督を退任。2019年7月1日に日本ラグビーフットボール協会副会長に就任し、日本ラグビー界のさらなる発展に尽力する。著書に『究極の勝利 ULTIMATE CRUSH』(講談社)など。

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