菅平高原観光協会

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INTERVIEW

勝利の縁の下~アスリートを支える勝負師~ vol.1 トレーナー 古川雅貴(中編)

July.17.2019

チームと共闘する

アスリートを支える仕事人を紹介する本連載、前回に続いてソフトボール日本代表のアテネ五輪銅メダル獲得を支えたトレーナー古川雅貴氏。野球少年はプロボクサーを経て、スポーツライターを目指すべく、スポーツ新聞社へ入社した。しかし、「もっとスポーツと近い距離での仕事」を求め退社する。続いて目指したのは、スポーツトレーナーだった。

取材・文/矢内由美子

仕事は選手の身体ケアだけではない

大学を卒業し、スポーツ新聞社への入社を果たしたが、実際に記者として仕事をする日々は、思い描いていたものとは違っていた。

「もっと、スポーツそのものと近い距離にある仕事をしたい」

思いを膨らませた古川氏はスポーツトレーナーの道に進むため、1998年12月に新聞社を退社し、翌年4月に鍼灸マッサージ師の資格を取るための鍼灸師の専門学校に入学。専門学校在学中は「三宅スポーツマッサージ」で掃除や洗濯などの修行をしながら専修大学ラグビー部に週に3回派遣され、1日に15~20人のマッサージを行ない「指をつくっていった」(古川氏)。

そして、鍼灸師の資格を取得した後の2002年に、Jリーグ湘南ベルマーレのトレーナーとして派遣される。

スポーツトレーナーの仕事は、想像以上に幅広い。ケガの予防やリハビリ、テーピング、マッサージにトレーニングの指導やコンディショニング……。項目は100以上ある。

「マッサージが下手でもダメですし、テーピングのスピードももちろん重要なのですが、それだけでは十分ではありません。むしろそれ以上に大事なことがあります」

スポーツトレーナーの仕事で最も優先されるのはケガの予防だが、プロレベルの団体競技の場合はチームの勝利やタイトル獲得となる。そのためには、トレーナーの立場であっても、監督の方針の下、高い基準でチームの一体感を持っていく必要がある。古川氏は、ハイレベルの一体感をチーム内に醸成していくためには、トレーナーは選手と「共闘」する意識を持っている必要があると考えている。

湘南ベルマーレでの経験

「24時間、365日、選手と一緒に戦う生き方をしてきたという自信があります」と語る古川氏

その哲学を持つに至った、貴重な出会いがある。トレーナーとしてまだ駆け出しだった2002年、湘南ベルマーレを担当していたときのことだ。古川氏の胸にずしりと響いたのが、当時、チームの中心選手だった梅山修さんの「トレーナーも選手と一緒に闘って欲しいんだ」という言葉だった。

そもそもプロのアスリートは、腕前が未知な新人トレーナーに自分の体を預けたがらないもの。古川氏の場合も、チームに派遣されてしばらくは、選手の方から積極的に来てくれることはなかったそうだ。

そんな毎日を過ごしながら、どうにか選手に信頼されたいという思いを募らせつつあった時期。選手の練習状況を観察する役目を担当していた古川氏は、梅山さんが腰に手を当てるしぐさを見逃さず、「練習後に腰のマッサージをしましょうか」と声を掛けた。他のスタッフが気づかないところにまで目配せをし、技術的にも確かなものを持つ古川氏を梅山さんは高く評価し、チームにその旨を告げる。中心選手が信頼を寄せる様子は周りの選手にもすぐに伝わり、次々と選手が古川氏のところに来るようになった。

こうしてやってきたシーズン開幕前の2月。古川氏は、ケガのために海外キャンプに帯同しないことになった梅山さんの担当として国内に残り、マンツーマンでリハビリを行っていた。するとある日、ふとした会話の中で古川氏が「選手と仲良くなって、もっとコミュニケーションを取れるようになりたい」というような内容を口にしたときのことだ。梅山さんはきっぱりと言った。

「仲良くするのが良いとは思わない。俺はトレーナーも選手と一緒に戦って欲しいと思っているんだ」

その言葉が古川氏の胸に響いたのだ。 

「梅山さんが言った“一緒に戦う”ということは、選手の考えていることを察知し、その選手の立場を後押しすることだと思うのです。それ以降、わたしは選手と“共闘”することを自分のスタイルとするようになりました」

プロスポーツのトレーナーとして最初に受け持った湘南ベルマーレで、自身のスタンスを確立させた古川氏は、2004年にはソフトボール日本代表のチームトレーナーとして日本オリンピック委員会からアテネ五輪に派遣され、日本の銅メダル獲得を縁の下から支えた。

(次回掲載 7月31日予定)

アテネ五輪でともに戦った女子ソフトボールの元日本代表監督・宇津木妙子さんは今もしばしば「ふるかわマッサージ療院」を訪れる

古川 雅貴(ふるかわ・まさたか)
1969年7月20日、千葉県生まれ。学習院大学卒業後、スポーツニッポン新聞社を経てスポーツトレーナーの道へ。アテネ五輪ソフトボール日本代表チームトレーナー。ルネサス(現ビックカメラ)高崎女子ソフトボール部では全国大会24回のうち16回の優勝に関わる。マッサージ、はり、きゅう、JATI-ATI(トレーニング指導者)、NSCA-CSCS、日本赤十字社救急法救急員の資格を持つ。群馬県前橋市に「ふるかわマッサージ療院」( http://www.xin-yi.net/furukawa/ )を構えている。