菅平高原観光協会

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INTERVIEW

勝利の縁の下~アスリートを支える勝負師~ vol.1 トレーナー 古川雅貴(後編)

July.31.2019

トレーナーという競技のアスリート

2002年湘南ベルマーレへ派遣され、プロアスリートを支えるためのスタイルを手にしたトレーナー古川雅貴氏。2004年アテネ五輪では女子ソフトボール日本代表チームに帯同。その後も多くのアスリートと共に闘っている。野球、プロボクサーとアスリートとして過ごした経験があるからこそ、真剣勝負にこだわる強さを持つトレーナーだ。

取材・文/矢内由美子

無理をしてもやるべきときがある

日本の銅メダルに貢献したアテネ五輪から4年。ソフトボール界の名門チームで、数多くの日本代表選手を輩出しているルネサス高崎(当時)のチームトレーナーを務めていた当時の2008年北京五輪。金メダルの栄冠を勝ち取った日本代表メンバーとの、今だから明かせる秘話がある。

北京五輪の本番を約3カ月後に控えた2008年5月。日本代表のレギュラーのある選手が、所属チームの練習で手の指を骨折した。その前まで肩を痛めて休養していたが、復帰初日にアンラッキーな骨折。悪いことに、それは五輪代表メンバー発表の直前というタイミングでもあった。

病院へ行きレントゲンを撮り、結果が出た瞬間にその選手は貧血を起こして倒れてしまったという。骨折が明るみに出れば、メンバー入りは絶望的。ショックのあまりの貧血にだったのだ。

当時、その選手の所属チームのトレーナーだった古川氏は、チームドクターと連携を取り、極秘裏の手術後の超速リハビリを敢行。プレーが可能な状態に仕上げて北京五輪に送り出した。

段階的な復帰プログラムをこなさず、急速なリハビリプロセスを踏んでいくことは、リスクも伴う。しかし、結果はうまくいった。選手は北京五輪での第2戦から決勝まですべて先発出場し、見事に金メダルを勝ち取った

「金メダルの瞬間、執刀したドクターから電話がかかってきて、2人で『やった!』と大喜びしました。このことからも分かるように、選手には無理をしてもやらなければならない時があります。その選手には『これで終わってもいいから、北京五輪には絶対に出たい』という強い意志がありました。私も『じゃあ、痛くても何も言うな』と言っての強行突破。段階的なリハビリをしていたら間に合わなかった中で、一か八かが成功して金メダルを獲得し、選手もみんなも幸せになりました」

一番がんばった人間が勝つ

高校の野球部を指導する古川氏

五輪でメダルを狙う“プロ”たちを担当する傍らで、古川氏はタイトル争いから遠い下位のチームや、高校生の指導も受け持っている。そこでは、「勝つと負けるしかないのに、勝ちを求めないやつっているか?」という話をすることがあるという。

「厳しい言い方をすると、『1回戦負けなんて誰だってできるんだよ』『1回戦負けで泣くなよ』と私は言います。なぜなら、365日すべてを休んで全く練習をしなくても、1回戦負けはできるからです。私は、自分の理想論として、勝った人間が一番がんばったんだと思っています。マラソンで10位だったら、10番目のがんばりでしかない。プロ野球でセパ12球団で10位だったら、その年10番目の努力しかしてない。スポーツの世界でアスリートとして生きるのは、そういうことなんです」

もちろん、その「がんばり」は、肉体的、精神的なものだけではなく、知的ながんばりもある。すべてのトータルのがんばりが順位になって表れるという考えが古川氏流だ。

「すべてを巻き込んでがんばりましょうというのが私のスタイル。頂点に立つということは、すべてが組み合わさって、その年の1位になるということ。それを目指さないという選択肢はありません」

勝負師にとって勝つということは、つねに選択肢の最上位に位置すべきと考えているのだ。

「勝負の世界にいて、勝ちを思い描かない人間はいないはずです。大事なのは、そこでどれだけ本気になることができているか。そして、本気になるためにはその材料として、高い基準ですべてのことを考えなきゃいけない。アスリートは、つねに優先順位を考えて行動すべきなんです」

2002年にスポーツトレーナーになってから、およそ20年が過ぎた。古川氏は今、「トレーナーという競技のアスリート」というマインドを持ちながら、この職業に携わっている。

「それぞれが、ある人はバスケットを、ある人は野球を選んで、そこで戦い、そこでトップを目指しています。そこに自分を照らし合わせたときに、自分がやっていることは何だろうと思案して出てきたのが、『トレーナーという競技のアスリート』という考えでした。

トレーナーの評価を決めるのは選手であり、本来なら自分が満足してもしょうがない。けれども一方では、自分で手応えとなるものを見つけていくしかない。

私には、24時間、365日、選手と一緒に戦う生き方をしてきたという自信があります。私は『トレーナーという競技のアスリート』。自分を言い表すにはこの言い方が、一番ピッタリくると思っています」

 古川氏の根っこにあるのは、真剣勝負こそ自分の生き方であるという思い。

「これしか自分の生きる道って、ないですよね」

 勝ち方を知るプロフェッショナルが、ここにいる。

古川氏は『トレーナーという競技のアスリート』であると自己を定義する

古川 雅貴(ふるかわ・まさたか)
1969年7月20日、千葉県生まれ。学習院大学卒業後、スポーツニッポン新聞社を経てスポーツトレーナーの道へ。アテネ五輪ソフトボール日本代表チームトレーナー。ルネサス(現ビックカメラ)高崎女子ソフトボール部では全国大会24回のうち16回の優勝に関わる。マッサージ、はり、きゅう、JATI-ATI(トレーニング指導者)、NSCA-CSCS、日本赤十字社救急法救急員の資格を持つ。群馬県前橋市に「ふるかわマッサージ療院」( http://www.xin-yi.net/furukawa/ )を構えている。