菅平高原観光協会

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INTERVIEW

勝つためのマネジメント
vol. 1 帝京大学ラグビー部監督 岩出雅之(中編)

July.22.2019

自主的に考える姿勢がチームを強くする

スポーツ医療などの科学的なアプローチで学生たちを指導して全国大学ラグビー9連覇を果たし、大学ラグビー界に革新をもたらした帝京大学ラグビー部の岩出雅之監督のインタビュー­中編(全3回)。10連覇を阻止された全国大会への今年度の取り組み方とは?

写真・文/中島良平

始まりは自分と向き合う視点の獲得

「フェアプレーの精神やスポーツの友情などを記した五輪憲章がオリンピックの基礎にはありますが、現在は世界的に、オリンピックにしてもワールドカップにしてもプロフェッショナルが高いレベルで競い合う大会になっています。

その背景には洗練された最先端の科学に基づいたトレーニング理論やコンディション調整があって、旧態依然としたシゴキなどを続けていたら日本は世界と渡り合っていけません。スポーツで高いレベルを目指したい学生たちには、トップアスリートとしての意識の持ち方を伝え、きちんと考えて能動的にスポーツに向き合い、体のことを考える大切さを教えることから始まります」

トレーナーなどのコーチングスタッフを揃え、管理栄養士らのサポートによって適切な体づくりや疲労回復などのコンディション調整を実現する。前回のインタビュー記事で5月病の話に触れているように、休養による回復も怠ることはない。

そうした科学的根拠を重視した環境づくりがやがて実を結び、ラグビー部監督に就任してから10年が過ぎた2007年度の第44回全国大学ラグビーフットボール選手権大会でベスト4に、翌年の準優勝を経て第46回大会で、帝京大学ラグビー部は創部以来初となる優勝を果たした。しかし、岩出監督はデータや科学的な研究に基づいた環境づくりよりも、さらに大事なものを重視したことでチームが強くなったと語る。

まずは敗戦という結果を処理する

ミーティングスペースも学生が集中できる環境が重要。

「帝京に入ってくる学生たちにまず伝えるのは、きちんと自分と向き合うことの重要性です。高校までほとんどの学生が受動的に育ってきていますから、まずは自分と向き合わせることで、いずれ自主的に考え、自分に足りないものを補ってトレーニングができるようにする。

最終的には能動的にアクティブラーニングができる学生を育てないと、チームのレベルが上がることはありません。ラグビーのメカニック、フィジカルやメディカルのメカニック、栄養学などの座学もありますが、ミーティングをしてそのままにしていたら記憶は消えていくので、実際に大事なのは、個人個人が学んだことをきちんと復習できるかどうかです。自分と向き合わせることが、能動性を養う第一歩になると考えています」

鍵となるのが、スポーツ心理学だった。研究書から学んだ知識と監督としてラグビー部を率いる実体験が融合し、スポーツ心理学の論理と実践がチームづくりに反映された。それは、夏に菅平で行う合宿で「鍛える」よりも「整える」ことを重視している考え方にも表れている。

「1月に全国大学ラグビー選手権で負けて10連覇を逃しましたが、その敗戦をきちんと処理をすることが重要だと考えました。処理をできていないと引きずってしまうし、急いで処理させるのは酷だし、指導者の熱も必要ですけど、やはりそこでは自分で考える意識が不可欠です。負けて悔しさをエネルギーにするだけではなく、何が足りていなかったのかを認識することで次に進むためのコンセプトが生まれてきます」

夏の合宿で改めて逆算を行う

日々トレーニングを行うクラブハウス横の専用グラウンド。

「春になって選手たちはいい状態になっていますよ。空気がよくなっている。これから夏に向けて気持ちが燃えてきて、そこにガソリンが充填されてきたら、菅平の合宿でこれから必要なことを逆算できる。いい流れだと思っています」

何が足りなかったのか、または、どのような部分を対戦チームに対処されていたのか。その確認から年度がスタートした。帝京ラグビー部のメンバーはすでにその確認を共有しており、次の全国選手権に向けて進み方が見えている。その進捗状況を確認して、新たに方針を固める機会が8月後半の菅平合宿となる。

次回の岩出監督インタビューは、大学で行われたスポーツ心理学の講義レポートと、岩出監督が考える学生スポーツの意義についての話で最終回とする。

岩出雅之(いわでまさゆき)
帝京大学ラグビー部監督
帝京大学医療技術学部スポーツ医療学科教授
1958年、和歌山県生まれ。日本体育大学ラグビー部でフランカーとして活躍し、1978年全国大学ラグビー選手権大会で同大学2度目の優勝。4年次には主将を務め、1980年卒業。教員として勤務した滋賀県八幡工業高校でラグビー部顧問として7年連続花園に出場。高校ラグビー日本代表監督を務め、1996年より帝京大学ラグビー部監督に就任。同大学では経済学部講師などを歴任後、2011年4月より医療技術学部スポーツ医療学科、スポーツ医科学センター教授就任。