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INTERVIEW

勝利の縁の下~アスリートを支える勝負師~ vol.2 コナミスポーツ体操競技部ヘッドコーチ 森泉貴博(前編)

August.16.2019

1日1技の指導法を考える

世界でも選りすぐりのアスリートだけが手にすることのできるオリンピックの金メダル。数多くのオリンピック競技の中でも「体操」は国際体操連盟の加盟国数が140を超える人気スポーツだ。だからこそ頂点を目指す争いはとても厳しい。そんななかで、金メダル4個の獲得に携わったのが、コナミスポーツ体操競技部ヘッドコーチの森泉貴博だ。塚原直也や内村航平らの指導を通じて身につけた“金メダルをもたらすコーチングの極意”とは……。

取材・文/矢内由美子

選手としてではなく、指導者として上をめざす

勝つために必要なコーチングとは何か。その答えを知っているのが、森泉貴博である。

日本体操協会男子ナショナルチームヘッドコーチとして参加した2004年アテネ五輪では男子団体の金メダル獲得に貢献した。また、コナミスポーツ体操競技部に所属しながらナショナルチームのコーチとして参加した2012年ロンドン五輪では、内村航平の男子個人総合金メダルを支え、2016年リオデジャネイロ五輪では男子団体金メダルと内村の個人総合連覇を支えた。

つねに選手にもっとも近い位置でサポートしきた森泉。まずは、どのような足跡をたどり、指導者になっていったのかを尋ねた。

生まれは愛知県名古屋市。父は大学まで野球をやり、母は体操経験者という家庭で育った。 

「小学3、4年生の頃、野球と少林寺拳法とやりながら、近くの体操教室にも通ったのが体操との出合いです」

複数の習い事をやっている中で、一番上達したのが体操だった。5年生になり選手コースへ進むと、すぐ試合にも出始めた。

中3の時に父の転勤で東京に引っ越し、朝日生命体操クラブで1年間練習に励んだ。中学卒業後は体操の強豪校である埼玉栄高校に進み、その後は日本大学へ。

「高校の頃の主な成績は、高校選抜の個人総合6位や、鉄棒、あん馬の種目別メダルですね。ジュニアナショナルに選ばれて、ジュニアの国際大会にも出ていました」

将来は五輪に出たい。そう思ったのは自然だろう。しかし、同い年のライバルの顔ぶれがあまりに豪華だった。1988年ソウル五輪に高校3年生で出た池谷幸雄と西川大輔や、この2人とともに1992年バルセロナ五輪に出た相原豊が同学年にいた。

有望株が粒ぞろいだった世代。五輪出場の夢は叶わないと考えた森泉は、社会人体操の強豪、河合楽器や大和銀行からの選手としての誘いを断り、日大4年の秋に指導者の道へ進む決意をする。

「1日でも早くコーチになって、1人でも多くの子どもを指導していけば、選手としてはかなわなかった人たちにも、いずれコーチとしては、上に立てるのではないかと思いました」

こうして日大卒業後の1993年4月、朝日生命体操クラブでコーチになった森泉は、男子選手の指導を受け持つことになる。

最高の指導者のもとで、指導を学ぶ

©︎日本文化出版

クラブには当時高校1年生の塚原直也がいたが、まだ頭角を現す前。ところが、1994年7月、旧ソ連の伝説的選手であるニコライ・アンドリアノフが来日し、朝日生命で塚原のコーチになったのをきっかけに、状況が一変する。旧ソ連仕込みの指導を受けた塚原はめきめきと力をつけ、大学1年だった1996年アトランタ五輪で代表の座を勝ち取ったのだ。

五輪で7つの金メダルを持つアンドリアノフの指導はすばらしいものだった。つねに忍耐強く選手と向き合い、とにかく基本を重視していた。その姿を毎日すぐそばで見ていたのが、男子選手担当の森泉だった。

「コーチングに関することは何から何までアンドリさんから学びました。基本技術、戦術・戦略、トレーニング方法、トランポリンの跳び方、すべてです。指導者になりたての頃は、全日本ジュニアの上位で戦える選手を育てるようになるには10年ぐらいかかると思っていたのですが、アンドリさんが身近にいたことで、その時間はものすごく短縮されました」

森泉がアンドリアノフから最初に言われたのはこの教えだった。

「1日1技の指導法を習得しろ」

片言のロシア語と、片言の英語と、片言の日本語でのコミュニケーション。アンドリアノフの教えを森泉は忠実に守った。体操には約1000の技がある。毎日1つずつ技の指導法を覚えても何年もかかる。

「アンドリさんが意図していたのは、例えば『前転』という技を、3歳の子から70歳のお爺ちゃんお婆ちゃんまでが、どうすればできるようになるかという声の掛け方を勉強しろということです。毎朝体育館に行き、まずは子どもたちに対してどのように言えば理解してくれるのか、どのように言えばその通りに動いてくれるのか、そして技を完成させるところまでいけるのか。それを考えながら指導をしていました」

アンドリアノフという最高のコーチと同じ体育館で過ごしながら、森泉は高いモチベーションで毎日を過ごしていた。「1日に1つ技の指導法を覚えよ」との指令を毎日実践し、指導する際のポイントを丁寧にノートに書き記していた。

ところがある日のこと。このノートを見つけたアンドリアフがビリビリとノートを破り、捨ててしまった。

「頭で覚えろ」

そういうことだった。毎日1技ずつ、最適な指導法を考えに考えながらノートに付けてきたが、その後はもう、頭の中に覚え込ませるしかなかった。振り返ればこの教えが、若く情熱にあふれる森泉の頭の中の引き出しをどれほど豊かにしたことか。森泉はアンドリアノフがロシアに帰国した2001年までの8年間に多くのことを学んだと感謝している。

森泉 貴博(もりいずみ・たかひろ)
1970年11月26日、愛知県名古屋市生まれ。埼玉栄高校から日本大学へ進学。大学を卒業した1993年に朝日生命体操クラブで指導者のキャリアをスタートさせる。2003年から2008年まで日本オリンピック委員会男子体操競技専任コーチングディレクターとして、日本体操協会男子ナショナルチームヘッドコーチに。2009年からコナミスポーツ体操競技部で内村航平らの指導に携わり、現在に至る。コーチとして五輪に6度参加。2019年10月にドイツで開催される世界選手権にはコナミスポーツで指導する神本雄也が出場予定。