菅平高原観光協会

勝ちたいなら、菅平。

INTERVIEW

中野ジェームズ修一
Mind Control Myself vol. 3
パーソナルトレーナーとの出会い

September.10.2019

日本のパーソナルトレーナーのパイオニア、中野ジェームズ修一が語る「こころ」のお話。今回から3回に渡り、中野ジェームズ修一誕生までの歩みについて。3歳から水泳を始め、トップスイマーとしての可能性を秘めていた中野氏が、パーソナルトレーナーという仕事に出会うまでを聞きました。

取材・文/寺野典子

水泳が好きになれないスイマー

たとえば、深夜のスポーツジム。さまざまな人間が無心でトレーニングをしている。そんな光栄を見るのが僕は好きだ。

姉のあとを追うように水泳を始めたのは3歳だった。当時はただ姉と一緒にいたいがために、スイミングクラブへ通っていた。そして、「僕は水泳が好きじゃないんだ」と気づいたのは、高校生になった頃だったように思う。当時の僕は自己ベストが更新できずに苦しい時期も経験していたけれど、おおむね、「めぐまれた選手」だった。生まれ持った身体的な強さや身体を使うセンスがあったからかもしれないが、年齢を重ねるたびに、それ相応、もしくは平均以上の記録を残し、同世代のトップスイマーが集まる強化合宿にも参加した。どんどんトレーニングは厳しさを増していく、「きついしもう泳ぎたくない」と思うこともあったが、水泳仲間と過ごす時間の楽しさやそういう仲間に負けたくないという気持ちで、僕は水泳を続けていた。

学生時代は水泳選手だった中野氏。

けれど、彼らとの大きな違いは、泳いでいても楽しさを感じられないということ。全国や世界レベルを目指す仲間の中で、異質な存在だと気づきながらも、水泳関係の友人しかいない日常を送っていた。結局、高校時代にはすっかり水泳に対する気持ちが切れていたし、意欲がないのだから、当然オリンピックに行けるような能力が僕にはない。水泳しかやってこなかった人生を考えれば、水泳関連の仕事に就くしか道はなかった。そこで学生時代にインターンとして、スイミングスクールでコーチのアシスタントを数ヶ月経験させてもらった。 かつての僕のように、競泳選手を目指す子どもたちの指導は面白かった。1秒でも記録を縮めるために苦闘する彼らを見ていると、ワクワクするような興奮を感じた。水泳をするのは好きじゃないけれど、選手を指導するのは面白い。懸命にトレーニングしている人たちの姿が僕の興味を刺激した。

しかし、スイミングスクールのコーチの仕事は、選手への指導だけではなかった。日中は高齢者の方や子どもたちへの水泳教室も担当する。3歳から泳げた僕には、「泳げない」というのがまったく理解できなかった。「どうして息つぎができないの?」「鼻呼吸するから苦しい、なぜ口呼吸できないの?」「どうしてコースロープにつかまってしまうのか?」とイライラし、ストレスが溜まった。泳げないから教室を受講しているのだから、できなくて当然だというのに。「何度教えても上達しない」と諦め気分だった。

選手と指導者とは違う仕事

フィジカルトレーナー協会 アドバンス講習会にて。

スクールのインストラクター同士で泳ぐ時間があり、僕はいつもトップを争っていた。もちろん現役大学生なのだから、当たり前だ。そういうとき、いつも最後尾で泳いでいたのがそのスクールのチーフ・インストラクターだった。「あんなにタイムが遅い人にとやかく言われるのが嫌だな」と若い頃はそんなふうに思っていた。

けれど、チーフは教えるのが抜群に上手だった。彼の言葉を聞くと、多くの人の泳ぎがみるみる改善されていく。まるで魔法の言葉だった。身体をどう動かすという感覚的なことが的確に言語化され、老若男女に伝わる。聞けば、スイミングスクールに就職してから泳ぎを覚えたという。だからタイムが遅くても当然だった。しかし、インストラクターの仕事は自分のタイムを競うものではない。いかに教えられるかが重要だった。「僕のほうが速く泳げる」と勘違いし、生意気だった自分を恥じた。

一流のアスリートが一流の指導者になれるわけではない。もちろん、トップレベルの選手を育成するときに、現役時代のキャリアが好影響を及ぼすことはあるだろう。けれど、「指導者」と「選手」というのは、まったく別の仕事だと気づかされた。

約3カ月のインターン生活を終えた時、指導者もまた僕には向かない仕事だと思った。優秀なスイマーを教えるのは楽しいけれど、どんな人にも指導できるチーフのようにはなれないと感じたからだ。

「トレーナーならどうか」

アメリカへ渡った中野氏。

フィジカルトレーニングには興味があった。自分の身体を鍛えることは嫌いじゃなかった。そこで、僕はアメリカへ向かった、1990年代はじめのアメリカでは、ワークアウトブームの真っ只中。ボディビルダー全盛期の時代。アメリカ発のさまざまなフィットネス情報が日本にも伝えられていた時代だ。

「パーソナルトレーナーってなんだ?」

アメリカ西海岸、ロサンゼルス。サンタモニカのベニスビーチにあるトレーニングジムで僕は初めて「パーソナルトレーナー」という言葉と出会った。日本ではトップアスリートですら、まだまだ個人的なトレーナーをつける時代ではなかった。もし存在していたとしても、本当に「特別な」人間のための仕事だっただろう。しかし、ベニスビーチの看板を見る限り、ここの「パーソナルトレーナー」は敷居が低そうだ。僕でもお願いできるかもしれない。試しに電話をかけてみた。

中野ジェームズ修一
(なかの・じぇーむず・しゅういち)

米国スポーツ医学会認定運動生理学士
渡米をきっかけにパーソナルトレーナーの存在を知り、勉強を始める。帰国後、日本ではほとんど認知されていかなったパーソナルトレーナーとして、活動の場を広げたパイオニア。フィジカルトレーニングの現場で、心理学や精神分析学をも活かす仕事は、多くのアスリートから絶大な信頼を集めている。主な著書は『下半身に筋肉をつけると「太らない」「疲れない」』(大和書房)、『世界一伸びるストレッチ』(サンマーク出版)、『青トレ』(徳間書店)など。累計売上は100万部を突破。東京神楽坂にある会員制パーソナルトレーニング施設「CLUB100」最高技術責任者。

http://www.sport-motivation.com/