菅平高原観光協会

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INTERVIEW

中野ジェームズ修一
Mind Control Myself vol. 4
パーソナルトレーナーとしての第一歩 in L.A.

October.15.2019

日本のパーソナルトレーナーのパイオニア、中野ジェームズ修一が語る「こころ」のお話。前回ではアスリートとしての道を断念し、渡米した中野氏が、パーソナルトレーナーという仕事と出会ったところまでをお送りした。今回はその仕事に就こうと歩み始めたアメリカでのお話を聞きました。

取材・文/寺野典子

対価に見合う結果を残すプロ

競泳選手にもなれず、指導者の道も断念した僕はアメリカ西海岸へ渡った。

そこで目にした「パーソナルトレーナー」という文字に興味を持ち、自分にもパーソナルトレーナーをつけてみようとコンタクトをとった。

「どれくらいの期間で、どんな身体になりたいの? 体重は何キロにする? 腕は何センチが理想? 週に何回できる? で、予算はいくらくらいかな」

目の前に現れたパーソナルトレーナーは、次々と僕に質問を投げかけた。それは細部にまで渡る詳細なものだった。そんなに細かい数値を決めても、それどおりになるわけないだろうと、僕は半信半疑だった。3カ月間のトレーニングはかなりキツイものだった。それでも、約束の時間が過ぎたとき、ほぼ約束通りの身体ができあがっていた。支払った対価に見合う「結果」があった。

「これぞ、プロの仕事だ」

パーソナルトレーナーという仕事の感動を覚え、興味が湧いていた。何より彼らはカッコよかった。

トレーナーとともに、ジムへ行くと、多くの人がそこでトレーニングしている。そんな彼らの傍らには、必ずパーソナルトレーナーがついていた。そして彼らは真っ黒なTシャツを着ており、その背中には真っ白な字で「Personal trainer」とプリントされ、そこにでかでかと電話番号も書かれていた。もちろん、それぞれその番号は違う。まさに個人営業のトレーナーがジムに集まっている。自分のクライアントを指導しながら、他のお客さんへのPRも欠かさない。だから、パーソナルトレーナーはみな愛想よく、好意的。かつ結果を出す仕事をしていた。

当時の日本にはまだパーソナルトレーナーという仕事はなかった。トレーナーといってもマッサージなどを行う人間だったり、ジムで器具の使い方などを教える人間だったりと、その職場によって仕事内容も千差万別で、少なくとも確立された職業ではなかった。しかし、アメリカでは違っていた。

「僕もパーソナルトレーナーになりたいんです」と、僕のパーソナルトレーナーに相談し、勉強が始まる。学校に通いながら、知識を積み重ねた。その地に根を下ろしてみると、パーソナルトレーナーといっても数多くの形態や仕事があることを知った。

たとえば、「プライベートトレーナー」のクライアントのほとんどが運動嫌い。でも身体を変えたいという願いは同じ。そこでまずは、スポーツをするために家へ迎えに行くところから仕事が始まる。今日はウォーキング、明日はテニス、次は水泳とあらゆるワークアウトをともに行う。また、いっしょに買い物へ出かけて、食材についての知識を与え、調理し、食事をとり、最後にはマッサージやストレッチも実施する、まさに生活そのものをバックアップする仕事だった。ワークアウトという運動、食べることへの関心の高さが生み出した職業だと感じ、衝撃を受けたし、その仕事に憧れた。

出前ジムのように、各種のトレーニングマシーンをトラックに積んで、クライアントの元を回っているトレーナーもいた。

アメリカでは、トレーニングとは言わず「ワークアウト」と呼ばれることが多い。トレーニングは、訓練や調教、鍛錬を目的とした場合を指し、解決策という意味を持つワークアウトとは、個々人が持つ課題や目標を解決するための手段としての方法として身体を動かすという意味合いの違いだ。

卵たちの身体を変える卵

ハリウッドには、全米にとどまらず、世界中から、俳優や女優、モデルなどを夢見た人間が集う。自然と彼らと交流を持つようになった。あるとき友人の舞台を見に行ったあとの食事会で、オーストラリアからきたばかりの女優と出会った。

「体形を変えたくて、ジムへ通っているんだけど、パーソナルトレーナーもいなくて、成果があがらない」と彼女。「だったら、お前が見てやればいいじゃないか」と友人。「是非、やらせてよ。僕のジムへの入場料金さえ払ってもらえたら、それで十分だから」と即答した。 学校で理論だけを学んでも実習ができない。これは絶好のチャンスだった。

それを機会に、無料のクライアントが増えていった。女優や俳優、モデルと彼らは仕事も違えば、目指す身体も違う。そのうえ人種や年齢も異なる。それぞれに応じたアプローチを考える必要があった。すべてが最初からうまくいったとは言い切れないだろうが、それでも、手ごたえは感じられ、この仕事の面白さを味わっていた。まだお金をもらわないから正確には仕事とは言えないのかもしれないが、僕はこの「パーソナルトレーナー」という職業に就きたいと思った。

2年ほどの時間が過ぎ、僕は日本へ戻ろうと決意する。

アメリカでの生活に不満はなかった。1年中、温暖な気候で、燦燦と太陽が降り注ぐ、ロサンゼルスでの毎日は、リラックスした状態で、多忙ではあったけれど、充実もしていた。しかし、温暖な気候に似た精神状態で暮らしていては、ダメになるんじゃないかという危惧もあった。

同時に果たして日本で、パーソナルトレーナーという仕事ができるのかわからないという不安もわずかに抱いてはいたけれど、帰国の決意は変わらなかった。

「バランスボールって、大きなボールでしょ? こんなフワフワしたものの上に座るなんて危ないよ。こういう危険なトレーニング用具をうちに持ち込むことは許可できません」

帰国後、初めて勤めたスポーツクラブで、アメリカではごく一般的なバランスボールを使わせてもらえなかった。「パーソナルトレーナーになりたい」と言ったときも、理解を得るにはほど遠い反応しか得られなかった。

中野ジェームズ修一
(なかの・じぇーむず・しゅういち)

米国スポーツ医学会認定運動生理学士
渡米をきっかけにパーソナルトレーナーの存在を知り、勉強を始める。帰国後、日本ではほとんど認知されていかなったパーソナルトレーナーとして、活動の場を広げたパイオニア。フィジカルトレーニングの現場で、心理学や精神分析学をも活かす仕事は、多くのアスリートから絶大な信頼を集めている。主な著書は『下半身に筋肉をつけると「太らない」「疲れない」』(大和書房)、『世界一伸びるストレッチ』(サンマーク出版)、『青トレ』(徳間書店)など。累計売上は100万部を突破。東京神楽坂にある会員制パーソナルトレーニング施設「CLUB100」最高技術責任者。

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